Kの謎解き
うどん屋にて

「天ぷらうどんで!」元気よく注文したのは三原楓。
「私も、同じのを」
本当に空腹だったようで、三原はめぼしい飲食店を吟味することなく、近場のうどん屋を選んだ。
「久しぶりだわ……」店内の雰囲気を確かめながら片塰叶夏は言った。
「外に出るのがですか?」三原がきく。
「違うわ」
「でも、夏休みになってから、外出してないんじゃないですか?」
「そんな」片塰は夏休みに入ってからの自分の生活を思い返す。「そんな馬鹿なことは……」
「あっ、なんか、ごめんなさい」
「まだ謝らないで」
「ほら、今日を楽しみましょうよ」
「楽しくなかったとは言ってないでしょ。私は家で本を読んでるだけで楽しいの。夏休みなんて、天国みたいなんだから」
三原は口元を押さえ、片塰の顔をじっと見つめる。悲しいものを見る目だ。
「そう、そうよ」片塰は思いついた。「朝日に行ってるわ」
〈朝日〉というのは、家のすぐ近くにある喫茶店である。片塰はそこの店長と仲が良い。
「えっ」と口元を押さえたままで三原は目を丸くした。「それだけ……?」
「とにかく」と片塰は強引に話題を切り上げにかかった。「外でちゃんと食べるのは久しぶりなの」
「じゃあもっとちゃんとしたお店に入れば良かったですね」
「ここはちゃんとしたお店じゃないの?」
「だって、うどん屋ですよ。外でわざわざうどんなんて食べる気になりませんって」
「あなたがこの店に入ろうって言ったんだけど」片塰は少しムッとして言った。「別にうどんだって美味しいし、今だって、久しぶりに食べるから楽しみにしてるんだけど」
「お腹がすいてたんです!」三原は口を尖らせる。「それより、何て言いました? 久しぶり? うどんを食べるのが久しぶり? あたしなんて、週一で食べてますよ。うどんは手抜き料理の一画ですから――」
「お待たせしました。天ぷらうどん二人前です」
「うっわ!」現れた店員に三原が驚きの声を上げた。「べ、別にここのうどんが手抜きだなんて言ってませんよ。今のはあたしのお母さんが作るうどんの話で、そもそもお母さんのうどんが美味しかったらわざわざこの店でうどんを食べようなんて思わないわけで――」
「大丈夫ですよ。ここのうどんは手抜きじゃなくて手打ちなので」
「あっ、そうなんですか。すごいですね。うちでも手打ちしてくれればいいのに、なんちゃって。あっはっは」
「それでは、ごゆっくりどうぞ」店員の冷静な対応。
三原は水を一気に口へ流し込んでから一息ついた。
目の前の天ぷらうどんを見る。三原の無駄口から得られた情報によると手打ちらしい。
割り箸入れが片塰の方にあったので、彼女は二本取り出して一本を三原に渡す。それから二人とも両手を合せて同時に言った。
「いただきます」
三原が景気よくうどんの麺をすすった。一方の片塰はどうにか適度な長さで噛み切って咀嚼する。
「ああ、やっぱりちゃんとした店で食べるうどんは美味しいですね。なんで家で作ると微妙な味になるんですかね」
「手を抜いてるからじゃないの? でも、私はちょっと駄目かも」
「駄目って、このうどんがですか?」信じられない、と言いたげな表情の三原。
「まあ、駄目ってほどじゃないけど、独特な食感よね」
「えー」三原はまた麺をすする。「うーん……、そうですかねぇ。あたしは普通だと思いますけど。庶民の味だからですかね」
「私が庶民じゃないって言いたいの?」片塰は箸の先で三原を指して言った。庶民でなくお嬢様なら箸で人を指すような真似はしないぞ、という細やかなアピールも含んだつもりだった。
「でも実際――」
三原が何か言いかけたその時、どこからか低いうめき声がした。
声のした方を探して見回すと、苦しそうに喉元を押さえている初老の男性客がいた。
「大丈夫ですか!」二人は席を立って彼のもとに駆け寄る。他の客も集まってきた。
「うどんが喉につまったんだ!」客の一人が言う。
「ヤバいぞ、どうするんだ」別の客。
「私が何とかします」そう言ったのは、先ほど天ぷらうどんを運んできた店員だった。
「救急車が来るまで余計なことはしない方がいいんじゃないのか?」
厨房から顔を覗かせた男性がそう言ったが、店員は構わず救助活動を始めた。
うどん屋の店員ともなれば、こういう場面での対処法も心得ているものなのだろうか、などと片塰は呑気に考えていたのだが、隣の三原は違ったようで、真剣な顔で呟いた。
「これは事件ですよ」
「いや、ただの事故だと思うけど」店員の救出作業の成功を祈りながら片塰は言った。「誰かが意図的にあの人の喉にうどんをつまらせたって言うの? 正月に餅がつまったって話は聞くけど、うどんがつまったなんて聞いたことないわ」
「そっか」いただきますと言ったときと同じように手の平を胸の前で合わせる三原。「餅のようなうどんだったんですよ。餅で死ぬ人がいるなら、餅のようなうどんで死ぬ人がいてもおかしくありません」
「おかしくないの? 普通、飲み込む前に気づくと思うけど」
「えっとですね……」三原は合掌したまま考え始める。「たとえば、普通のうどんの中に一本だけ餅みたいな麺を入れるんです。それも底の方に。普通のうどんだと思って食べてたら突然コシが強くて粘っこい面が口に入るんですよ。でもそんなのがあるなんて考えてないから、勢いで飲み込んじゃうんです」
無茶苦茶だが理屈は通っているような気がする。それに、片塰はうどんを食した回数が少なく、詳しくないので、彼女の推理を否定することが憚られた。しかし疑問はある。
「そんな、一本だけ別の麺を作れるものなの?」
「そっか!」三原は合掌を解いてパチンと手を叩く。「ここ、手打ちで作ってるって言ってたじゃないですか。一本しか使ってないならまだ餅みたいな麺が残ってるかもです」言うが早いが彼女は厨房に向かって駆けて行った。
片塰はふっと溜息。行動力だけなら三原は誰にも負けないだろう。問題はその行動力をもっと大事なことに対して向けられないところにある。と改めて彼女を分析してみるのだった。
小さな歓声が上がった。
見ると、例の男性が店員や他の客に感謝の言葉を述べていた。どうやらつまっていた麺を吐き出させることに成功したらしい。
「ありませんでした……」厨房から肩を落とした三原が出てきた。
男性客の騒ぎで、彼女が厨房に入るのを止める人はいなかったらしい。
「そう。まあ、無事に取れたみたいだし、良かったんじゃない」
「ですね」三原は席に戻って食べかけのうどんに箸をつけた。
「あっ、そっちは私の――」
片塰が言うより先に、彼女は麺をすする。
「ぶっ」三原が吹き出した。「何ですか、この餅みたいなうどんは」
「餅?」と片塰。
「餅」と三原は箸先で丼鉢の中を指す。
片塰はもう一つのうどんを口に運ぶ。三原が最初に食べていた方だ。
「あ、美味しい」


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