私の先生
個性とは何だろう?

「先生って、個性的ですよね」たまには私から話題を提供するのもいいだろう。そう思っての言葉だった。
「ええと、どういう意味?」
「先生が個性的だという意味です」
「良い意味で? 悪い意味で?」
「あっ、そういうことですか」得心した。一瞬先生が個性的という言葉の意味を知らないのではないかという疑惑が私の中で生じたが、そんなことはなかったらしい。「もちろん、良い意味でですよ。私にとっては」
「また、そんな影のある言い方して……。何? 他の人には悪い意味で個性的だと思われてるの?」
「さあ、どうでしょう」私はとぼけてみせる。こんなことができる相手は先生くらいだろう。
「ああ、何か嫌だなあ……」先生は右手で口元を覆った。「そもそも、個性に良いも悪いもないだろうに」
「それって、どういう意味ですか?」同じ質問をさっき先生からされたことを思い出す。立場逆転。少し面白かった。「あっ! 悪いところがあっても、それはそれで個性的ってことですね」
「いや、そんなポジティブな意味じゃないよ」先生は苦笑した。「それは長所と短所の話だろう」
 確かに、短所も言い方次第で長所に変換できると聞いた覚えがある。
「じゃあ、個性って何なんですか?」
「人と違うこと」先生はあっさりとそう言った。「理解できた?」
「いいえ」私は正直に答えた。
「だろうね。僕もうまく言えないよ。うーん、そうだなあ……、線を描いてごらん」そういって先生は右手を顔の前で水平に動かした。
「線?」不思議に思いながら私も先生の真似をして空中に線を書いた。
「それが個性だよ」先生は腕を組んでニヤニヤしている。「僕の線と君の線、何が違う?」
「位置が違います」私は咄嗟にそう答えた。
「ああ、位置は考えないことにしよう。向きも。座標じゃなくて紙に描いてるイメージだね。数学じゃなくて美術だよ」
 書くのではなくて描くらしい。
「じゃあ、長さが違います。それと、太さも」
「ああ……」先生の目が細くなり、視線が下がった。右手が顎に移動する。「そうか、太さか。なるほどなあ。太さねえ……」
「あの、先生」一人でぶつぶつ呟き始めた先生に声をかける。「この線が何なんですか?」
「ああ、そうだったね。ごめんごめん。そう。君が言った通り長さと太さが違うね。僕は長さしか考えてなかったけど、太さも違う。その違いを個性としよう」
「えっと、さっき描いた線で個性がわかるってことですか?」
「うーん、そうじゃなくて、個性には実体がないだろう。だから、この線の違いを個性だと仮定して説明しやすくしたんだよ」
「なるほど。つまり、これから個性に関する説明が始まるんですね」私は目に力を込めて先生を見る。
「はは、あんまり期待しないでね」先生は私から目を逸らした。「別に線が長いから、あるいは太いからって良いとか悪いとかじゃないんだ」
「個性に良いも悪いもないんですよね」それは最初に先生が言ったことだ。
「そう。長い人からすれば短い人が個性的に思えるし、その逆もありえる」
「太い人が細い人を見ても」
「……そうだね。うん。しかし、太さまでは気が回らなかったなあ。まあ、とにかくこの違いが個性ってわけ」
「でも、線は線ですよね? 太くて長い線も遠くにあれば普通の線と同じに見えるんじゃないですか?」
「……いい発想だね、君。今までの生徒はみんなここまでの話で納得してくれたんだけどなあ」
「納得したふりをしてたんじゃないですか? 面倒だから」私は先生の話を聞くことを面倒だなんて思いませんよ、という意味を込めての発言だった。
「それは悲しいなあ……」先生は落ち込んでしまったようだ。意外と打たれ弱い心の持ち主なのだ。
「いや、やっぱり納得したんだと思いますよ。先生の説明わかりやすいし、面白いし」少し申し訳ない気持ちになったので、優しい言葉をかける。もちろん、その言葉に嘘はない。本当にわかりやすく、そして面白いと、少なくとも私はそう思っている。
「……うん。まあ、君の言う通りだね。線は線だよ。人は人なんだから。基本の部分は変わらない」
「でも、極端に太い線は、もう面ですよね」
「ああ、まったく……。だいたい、君は直前まで線は線だって言ってたじゃないか。どうして突然面を出してくるんだ」
「だって、面になるじゃないですか」
「やっぱり、太さは考えないことにしよう。太さの違いに目を付けたのは素直に評価するけど、話がややこしくなりそうだからね。今回は省かせてもらおう」
「まあいいですけど。でも、そうしたら長さしか違いがありませんよ。それだけで個性なんて、言い過ぎじゃないですか?」
「そう。やっと想定内の質問をしてくれたね。感激だよ」先生は本当にうれしそうに話し始めた。「だからね、数を増やすんだよ。何本とか決めないで好きなだけ、自由に線を描くんだ。一本のときは長さしか違いがなかったけど、今度はどんな違いがあると思う?」
 どうやら本当に太さは考えないことになったらしい。
「数と、座標ですね」
「まあ、座標ではあるけど、配置って言う方が近いのかな。座標だと、どうしても数学的になっちゃうからね」
「先生、もしかして数学嫌いなんですか?」
「いいや、まさか、そんなことはないよ。今回は絵を描くイメージの方がわかりやすいと思っただけだ」先生は早口で否定した。
「絵を描くってことは……、色も違うんじゃないですか?」
「ああ、だめだめ。色は黒で統一しよう。別に黒じゃなくてもいいんだけど。とにかく、色は一定。みんな同じ色」先生は慌てて新たな設定を付け加えた。「本当に君は次から次へと……、感心するよ」
「ありがとうございます」先生に褒められたのは久しぶりだ。
「……とにかく、長さ、数、配置。これらが全く同じになるなんてことはないだろう」
「何も描かないって人、多そうですけどね」
「そういうひねくれ者は相手にしてないよ」
「先生も何も描かなそうですよね」
「それは心外だなあ。僕は線を重ねに重ねて紙を塗りつぶすよ」
「……それも大して変わりませんよね」
「全然違う」
「まあ、いいですけど。じゃあ、線を重ねるのはどうです? 短い線を何本も繋げた人と長い線を一本だけ描いた人は、同じですよね?」
「その発想、君の方こそひねくれてるね……。でも、その場合は、繋げたか繋げてないかって明確な違いがあるからセーフかな。見た目は一緒だけど全然違うなんてことはしょっちゅうあることだろう」
「急に現実的になりましたね。えっと、線の長さの違いが個性だって仮定でしたよね?」
「その通り」先生は大きく頷いた。
「じゃあ、数と配置は何なんですか?」
「数はそのまま数。配置は、組合せかな」
「よくわかりません」
「例えば、逆立ちができる人も、フラフープが回せる人も割といる。でも逆立ちしながらフラフープを回せたら、個性的じゃないかな?」言ってから、先生は露骨に顔をしかめた。私も同じだった。「いや、まあ、わからなくていいんだよ。初めに言ったけど個性なんて実体のあるものじゃないし、完璧に理解する方が難しいよ。たぶん、よくわからないぐらいで丁度いいんじゃないかな」
「先生でもよくわかってないんですか?」
 ここで先生にそうだと答えられると、今までの話から説得力が消え失せてしまうわけだが。
「君が個性的だってことはわかってるよ」
「そんなことないです」
「特に、発想がね」


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