私の先生
なぜ煙草を吸うの?

 机の上に灰皿が置いてある。
「先生、煙草を吸うんですか?」
「吸うと思う?」
 先生が質問に対して質問で返してくるのは珍しくない。
「だって、あそこに灰皿があります」私は指先でそれを示す。
「君の前では吸わないよ」
「誰の前なら吸うんです?」
「君は下から突き上げるような質問ばかりするね。生徒の前では吸わないという意味に他ならないよ」
「先生が回りくどい言い方ばかりするからです。どうして煙草を吸うんですか?」
「うーん、その質問に答えられる喫煙者は果たして世界に何人いるのかな。機会があれば僕も聞いてみたいね」
「意味もなく吸ってるってことですか?」
「含みのある言い方だなあ……。君、煙草嫌いなの?」
「好きではありません」
「ああ、そう。でも、吸ったことないだろう? 食わず嫌いというか吸わず嫌いというか、そういうのは良くないよ」
「だから、嫌いとは言ってません」
「ああ、『好きではない』だっけ。僕は好きか嫌いかの二択しか考えてなかったんだけど、君には第三の選択肢があるのかな」
「あります」
「はは。そんな風に堂々と断言されるの、弱いんだよなあ、僕は。どうして、好きじゃないの?」
「だって、体に悪いじゃないですか」
「体に悪いから好きじゃない。それだけ?」
「いえ、体に悪いと知ってて吸う理由がわからないんです」
「ああ、なるほどね。『わからない』。それが第三の選択肢ってわけか」
「そうです。だから先生が煙草を吸う理由を教えてください」長い前置きだったが、やっと本来の質問に戻ることができた。
「君は、若いから、何を言ってもわからない」ゆっくり、言い聞かせるように先生は言った。
「私の理解力が欠けてるってことですか」
「いや、違う違う。別に君に問題があるわけじゃないんだ。一般的な話だよ。例えば、僕には音楽を聴きながら歩いている若者の気持ちがわからない。同じように、若者には煙草を吸いながら歩いている大人の気持ちはわからない。そういうことだよ。大人は口が寂しくて、子供は耳が寂しい、なんてね」
「私、音楽聴きません」
「ああ、そう。僕はその方が良いと思うけどね。これは体に良いってことじゃなくて、印象が良いって意味ね」
「そうですよ。音楽を聴いたって悪いことはありません。でも、煙草は体に悪いんですよ」
「そう。そうだね。君の言う通りだ」先生は何度も頷く。「うーん、あんまり言いたくないんだけど……、煙草を吸ってるとさ、大人っぽいだろう」
「……そんな理由で吸ってるんですか」
「いや、僕だけじゃない。みんなそう思ってるはずだ。だいたい、二十歳まで吸えないなんてことにするから、その間に吸ってみたいって欲求が蓄えられてしまうんだ。今から年齢制限を取っ払えば、未来の喫煙者は劇的に減るはずだよ。『煙草を吸える大人への憧れ』が発生しなくなるんだからね。そうなれば、君が言ったように『煙草は体に悪い』という事実だけが残って、誰も吸わなくなる」
「そんなにうまくいきますか?」
「うまくいくとしても、やらないだろうね。現代は全体の喫煙者を減らすことよりも未成年の喫煙者を無くすことに重きを置いている。副流煙。君も聞いたことくらいはあるだろう。集団の中に一人でも喫煙者がいれば周りにも悪影響が出る。だから減らすことには大して意味はなくて、やるなら完全に無くすまで徹底しないといけないわけ」
「理屈はわかりました。でも、煙草なんて吸わなくても先生は十分大人ですよ」
「それはどうもありがとう。お世辞として受け取っておくよ。まあ、僕もわかってはいるんだけどね、こればっかりは仕方ないよ。煙草の中毒性によるものだからね」
「結局、中毒ってことですか」
「まあ、そうなっちゃうね。うん。中毒か……。最初からそう答えればよかったなあ。どうして? なんて聞かれちゃうと、ついいろいろ考えちゃうけど、結局のところ中毒の一言に尽きるよね。もちろん、そこに至る過程は人それぞれだけど」
「先生の場合は『大人っぽいから』ですよね」
「ああ、余計なことを言っちゃったなあ。これからは、中毒って答えるようにしないと」
「禁煙する気はないんですか?」
「さあ、どうだろうね。こうやって君と話してれば禁煙になりそうだけど」
「私と話すようになって、口が寂しくなくなったということですね」
 そしてきっと、私の耳も寂しくなくなっているのだろう。


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