単発ショート
酔っ払い姉さん名推理

空が暗くなると気分が明るくなる。
終わりが見えれば達成していなくても達成感を感じるし、終わりを見込めれば不満にも耐えられる。夜は一日の終わりを象徴している。
今日という日を最後まで楽しみたい人が、バーに集まっていた。
マスターはグラスを磨きながら店内をざっと見回す。今の客は五人。時間的に新たな客はもう見込めそうにない。
「ちょっとマスター、聞いてちょうだいよう」カウンターで飲んでいた一人の女性が話しかけてきた。「弟がさあ、ほんっとに生意気なのよー」
入店時はきびきびした動作にさばさばした話し方の彼女なのだが、飲み始めるとすぐに崩れてしまうのだ。
「私のこと、ぜんぜーん『お姉ちゃん』って呼んでくれないんだからあ。もう寂しくって寂しくって。小さい頃は懐いてたのになあ」ここで彼女は溜息。「ちょっとマスター、私のこと『お姉ちゃん』って呼んでみてよー」
こんな具合に、悪酔いした彼女は自身を「お姉ちゃん」と呼ばせることを強制させてくる。当然、他人の女性を「お姉ちゃん」なんて呼べるわけない。かといって呼ばなければいつまでも絡んでくるので、マスターは仕方なく彼女を「お姉さん」と呼ぶに留めているのだ。
「もー、『お姉さん』じゃあなくって『お姉ちゃん』だってばあ」と頬を膨らませながらも、彼女は満更でもなさそうにグラス内の液体を一気に流し込むのだ。
月に一度程度の頻度でしか来店しない彼女だが、マスターだけでなく他の客にも「お姉ちゃん」呼びを強要するため、マスターは彼女のことを密かに「酔っ払い姉さん」と呼んでいる。
「ねえねえ」案の定、酔っ払い姉さんは空になったグラスを置いたまま席を移動し、机に突っ伏しているサラリーマン風の男に話しかけに行った。「ちょっと私のこと『お姉ちゃん』って呼んでみてよ」
眠っているのか、サラリーマン風の男から返事はない。
マスターは酔っ払い姉さんが置いて行ったグラスを回収する。
「あれえ、寝ちゃってるのお?」酔っ払い姉さんは男に体を近づける。「うん? 何これ?」
首を傾げる酔っ払い姉さんの方を見ると、彼女は男の脇腹の辺りを凝視していた。
「どうかされましたか?」気になったマスターも男に近づいてカウンター越しに男の脇腹を覗き込んだ。
果たしてそこには、ナイフの柄が飛び出していた。状況を的確に捉えるならば、柄が飛び出していたというよりも、刀身が刺さっていたと言うべきか。
マスターは持っていたグラスを落とすような真似はしなかった。驚きで力が抜けるなんてことはなく、むしろ汗ばむほどに力み、しばらく体を動かせなかった。
「むむう」食べ物を要求するペットのような声を発した酔っ払い姉さんは、無邪気にその柄に手を伸ばした。
「駄目です!」マスターは咄嗟にそれを制する。そして男の首筋に手を当てて数秒。「し、死んでる……」
「シンデル?」僅かに目を細める酔っ払い姉さん。「死んでるの?」
「ええ……」
マスターはこれ以上ないくらい神妙な顔で頷いたつもりだったが、酔っ払い姉さんはさらに目を細めただけだった。
マスターが警察に通報するためカウンターを離れようとした瞬間だった。
「私、犯人わかるけど」酔っ払い姉さんがそう言ったのだ。
「えっ」マスターは耳を疑った。「犯人が、わかるんですか?」
「うん」酔っ払い姉さんはたやすく頷いた。「だって私、探偵だもん」
理由になっているような、なっていないような。これが誰もが名を知る名探偵だったならば、大いにこの場を預けられるのだが。
「まずね」誰に促されたわけでもなく、酔っ払い姉さんは語り始めた。「私、前も似たような事件にあったんだ。そのときは毒殺だったの。でもね、私は騙されない。これは、刺殺だ」
マスターは肩をすくめた。酔っ払い姉さんはやはり酔っぱらっているだけのようだ。
「刺殺ってことはね」彼女は続ける。「凶器はナイフなわけ。うへへ、すごいでしょ。でね、これは殺人だね。自殺じゃない。ほら、自分で刺すなら普通脇腹なんて選ぶ? 刺しにくいでしょうに。私なら、腹を正面から刺すなあ。ま、刺さないけどさ。例えだよ、例え。でね、これが殺人なら、犯人はナイフを持ち込んだってわけ。そりゃ、何もないところからナイフが出てきたりしないもんね。でさ、ナイフを身抜きで持ち歩く? 普通は鞘とかケースに入れるじゃん。身抜きでポケットに入れてたら自分に刺さりそうで怖いし。鞄に入れるにしても、身抜き……、あれ? 身抜きってなんだよ。抜き身だよ抜き身。何言ってんの。まあ、あれよ。犯人は鞘なりケースなり、ナイフを持ち歩いていた証拠を持ってるってわけ。だから今からここにいる人の持ち物検査をしまーす」
酔っ払い姉さんがそう言って、ふらつきながらも立ち上がったそのとき。
カランカラン。
軽い落下音が店内に響いた。
見ると、黒い物体が店の床に落ちていた。音からしてプラスチック製だろう。
酔っ払い姉さんがしゃがみ込んでそれに顔を近づける。
「あ、これだね。ナイフのケース」触るような真似はせず、彼女は再び立ち上がった。「あーあ、喋りすぎちゃった。さっさと持ち物検査しとけばなー」
つまり、酔っ払い姉さんの推理を聞いていた犯人が、持ち物検査をするという彼女の宣言を聞いて危険を感じ、ナイフケースを放り出したわけだ。
「はい、みんな、てーあげて!」言いながら酔っ払い姉さんは万歳するように両手を思い切り上に伸ばした。「ほらほら、どうした。上げないなんて怪しいぞう」
怪しいという言葉に反応したのか、四人の客は全員が手を挙げた。もちろん、マスターも同じだ。
「あれあれ?」指先を天井に向けて上げられた各々の両手を見て、酔っ払い姉さんはいつものように首を傾げた。「みんな素手じゃん。じゃあ何、このケースに指紋が付いちゃってるんじゃないの? それとも、ついさっき手袋を外したのかな? でもまあ、とりあえず持ち物検査して、手袋持ってないか確認してみよっか。あ、待った待った。手は下ろさないで。何かされると困るから。このままみんな手を上げた状態でね、警察を呼ぼう。状況保存だね。今から誰も何もできないよ。あれ? 誰が警察を呼ぼう。私が呼んでいい? でもなー、それで私が犯人扱いされても困るしなー。よし、次に来た客に警察を呼んでもらおう。それまで、みんな手を下げちゃ駄目だからね」
「あの、今日はもう、お客様は来ないと思います」マスターは小声で酔っ払い姉さんに伝えた。「時間が時間ですので」
「うっそーお」大げさな声を上げる酔っ払い姉さん。「困ったなー。うーん。よし、じゃあ、みんな、せーの、でこの中の一人を指差そう。もちろん、手は上げたままね。一番信用できる、つまり犯人じゃない人を指差すんだよ。いくよ、せーの!」
マスターは誰も指せなかった。しかし、自分に向けられた五本の人差指を見て驚いた。
「わお、さっすがマスター。信頼されてるう」からかうような酔っ払い姉さん。「じゃあ、マスター、通報よろしくー」
マスターは一度カウンターの奥に行き、受話器を手に取った。男性が刺殺されていることと、この店の住所を言った。確かに、この店の住所を正確に伝えるという点においては、適任だったかもしれない。
受話器を置いて戻ると、店内には酔っ払い姉さんしかいなかった。
「おや、他のお客様はどうされましたか?」マスターは尋ねる。
「帰しましたー」酔っ払い姉さんは舌足らずな口調で答えた。「殺人犯のいるみせに長居させるのは可哀想なんでえ」
「えっ? しかし、お客様の中にその犯人がいたのでは……」
「またまたあ、とぼけちゃって。もう、マスターが犯人でしょ。犯人わかるって、最初に言ったじゃなーい」
マスターは口を開きかけたが、酔っ払い姉さんはそれを無視して話し続けた。
「だいたい、店には私を入れて五人しか客がいないんだよー。しかも知り合いじゃないし。みんなバラバラの席で飲んでたじゃん。ナイフを刺すには近づかないといけないんだから。他の人があの男に近づいたら気づくでしょ?」
「しかしですね」やっとマスターは口を開けた。「お客様はお酒を飲まれています。周りに気を向けていなかったかも――」
「違う違う。そりゃ、客は気づかなくても無理ないって。私が言ってるのは、マスターのことだよお。カウンターにずっといて、客の動きに気づかないわけないじゃん。しかも、奥のテーブル席とかじゃないんだよ。カウンター席。カウンター席に人が近づいてきて、マスターが気づけないわけないでしょって。だからね、私は待ってたんだよ。マスターが証言してくれるのを。そしたらマスターを疑わなくって済むから。あのナイフケース、この店のやつでしょ。あのタイミングで投げれば、誰のかわからなくなるもんね。グラス拭いてた布で触ったから、指紋が出る心配もしなくていいんだ。唯一残ってる証拠品を始末するいい機会だって思ったでしょ」
マスターは考えた。そして、逃げ道を一つ見つけた。
「お前が犯人だ!」マスターは酔っ払い姉さんに指先を向ける。「この男に話しかけに行ったときに刺したんだ。そうだ、お前にならできるじゃないか!」
「できるよ」彼女はあっさりと認めてしまった。
「ほらみろ。見つけたとき、ナイフに触ろうとしただろ。あれは、自分の指紋が付いててもおかしくないようにするためじゃないのか」
「わお、名推理。マスターやるう」陽気にグーサインを向ける酔っ払い姉さん。「ま、もうすぐ警察が来るんだから、一対一で勝負だね。警察はすごいよー。簡単に隠せるもんじゃないんだから。ちゃんと警察に連絡したよね? マスターが犯人なら、連絡してないかもしれないなー。このままいくら待っても警察が来なかったら、どうして連絡しなかったのか聞かせてね」
マスターと酔っ払い姉さんは両手を上げたまま睨み合い、気づけば閉店時間となった。
警察は来ない。
いくら待っても来ないことは、マスターが一番よく知っていた。


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